EduKids編集部・村上です。
子育ての過程で、悩んだり迷ったりすること、沢山ありますよね。インターネットの普及により、様々な媒体の溢れる情報の中で何が正しいのか選別に迷い、途方にくれるなんてことも
珍しいことではありません。そんな時、原点に返って書物をひも解いてみませんか?EduKidsボードメンバー・ころんさんがご自身の多彩な読書歴の中から、お勧めの1冊を
ご紹介いたします。
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秋。秋といえば読書の秋。
皆さん、本は読んでいらっしゃいますか~?
私は本がないと生きていけないので、常に図書館から借りた本が10冊前後あるので、月平均20冊前後読んでいます。
最近のヒットは、森信三氏の『家庭教育の心得21』です。
アマゾンのレビューを読んでたら「絶対読まなくちゃ!」という気分になりまして・・・
http://www.amazon.co.jp/dp/4884748719/ref=as_sl_pd_tf_lc?tag=karahurunasek-22&camp=243&creative=1615&linkCode=as1&creativeASIN=4884748719&adid=0K4QS2WG206BRJ2WZR6P&&ref-refURL=http%3A%2F%2Faikoron.blog16.fc2.com%2Fblog-entry-1292.html
明治生まれの森氏は、現代の覚者(悟った人)と言われるお方のようで、文章からは芯の通った哲学が美しいほど高みにまで完成されているというか・・・お人柄もそれはもう素晴らしく、多くの若者の心に深い栄養を与えられた方だったようです。
この本は、現代の母親の99%が、あいたたたー!!!と感じる部分が必ずあると思います。
それほどに、厳しく真実を突いていると思います。
すぐには受け入れられなくても、この本が伝えようとしているエッセンスはしっかり胸に留めたいと思いました。
森氏は、本の中でズバリ言いきってます。
「子どもの躾(しつけ)は母親の全責任!!
開巻第一からこういう題をお読みになると、いくらか抵抗を感じる方もおありかと思いますが、しかしそういう方はご自身のお子さんが親の言うことをあまり聞かれないでお困りの方でしょう。
それは親が素直でないのに、子どもだけが素直な子どもにはなれないからであります」
と。
この出だしが圧巻!!!と思いました。
この冒頭の「子どものしつけは母親の全責任!!」とビックリマーク2つも付けてるタイトルを読んだ瞬間「え~!?ちがくない?父親にだって責任あるでしょ?学校だってろくでもないし、だいたいこの社会だって難しくない??」みたいな不満が出た場合・・・・
それは、素直じゃないんですね。
もし素直な母親ならば「ああ、そうかもしれない。さぁ続きを読んでみよう、どんな主張がなされているんだろう」と受け取ると思うんです。
そして、そういうスタンスの母親の子どもは、自然と同じように素直に物事を聞き入れ学んでいこうとする姿勢になっているのではないか・・・・と思います。
いくつか「家庭教育の心得21」から、う~~ん!と思った箇所を抜粋しますと・・・
「ですから、誰が何ときれいごとを言おうと、我が子の『人間教育』の本当の正味は家庭教育のほかないというわけで、この点をこの際改めて心の底にはっきりと刻みこんでいただきたいのです。しかも、家庭教育の直接の責任者は『母親』です。それは『父親』のほうは家族を支えるための稼ぎに夢中にならねばならぬからです。
ところが近頃の若い母親の中には、この辺りのことさえ、はっきり分かっていない人が少なくないようです。今日の日本社会の緩みの根本は、女の人たちにこの点がはっきりつかまれていなくて、『2人の間にできた子だから、主人にももっと教育について考えてくれたらよいのに』くらいに考えている人もあるようですが、これは大変な間違いであります。
それというのも、『男』の世界というものは、いわばオス狼とオス狼の間で一匹の野ウサギを血みどろになって取りあうようなものと言える世界です。
ところが最近、そうした男の世界の厳しさの分からん女の人が急に増えかけたらしいですね。しかもそういう人の中には女子大などに学んで鼻が高くなり、そのためかえって世の中の真の厳しさが分からんようになった人も少なくないようです。
ご主人がその勤務先で、いかに気を使って勤めておられるか、上役に対してはもちろん同僚間でも、否、現代のような時代では自分より下の人々に対してさえ気を遣わにゃならんのです。
(略)
では、その根本的な躾(しつけ)三つとは何かと申しますと
第一、朝必ず親にあいさつする子にすること。
第二、親に呼ばれたら必ず「ハイ」とはっきり返事のできる子にすること。
第三、履モノを脱いだら必ずそろえ、席を立ったら必ずイスを入れる子にすること。
以上三つの躾が真に徹底すれば、もうそれだけで「人間」としての軌道に乗るというわけですから、ちょっと考えたら不思議なくらいです。
ではなぜそんな分かり切ったことを徹底させたら、それで我が子を「人間」としての軌道に乗せられるかというと、第一と第二で「我」がとれるからです。
つまり「あいさつ」と「返事」で一応人間としての「我」を抜く、これが秘訣なのです。ですからこの二つの躾が徹底しますと、子どもはいつの間にやら素直になって親の言うことをよく聞くようになるのです。
ではこの躾の仕方のコツはと申しますと、それにはまず母親自身が、ご主人に対して朝のあいさつをはっきりするようにし、また、ご主人から呼ばれたら必ず「ハイ」とはっきりした返事をするように努力するのです。そしてこれを一ヶ月も続けますと、家じゅうがすっかり変わってくるから不思議です。
(略)
もっとも皆さん方の中には「そんなことをしたら、それでもなくても主人になめられかけているのに、いよいよなめられますわ」とおっしゃる方もおありかと思いますが、それはケチな根性というもので、皆さんがご主人に呼ばれて「ハイ」という返事ができないとすれば、それは「我」が抜けていない何よりの証拠です。
ですから子どもが言うことを聞かないのも当然です。
(略)
以上、抜粋終わり。
(第二章は「父親を軽んじては我が子の『人間教育』はできない!!」と、やっぱりビックリマーク2つ付いてます)
↑上の大文字にした部分にめちゃ心を打たれました。
そう、「我」を抜く、ということ。
これが人にとって本当に大事だと痛感します。
この「我」というの、上手く他に言いかえるのが難しいんだけど、何て言うのかな・・・この「我」が強い人は人とのトラブルも絶えないし、夫婦げんかも多く、会社では一定以上の出世はしないし、上司としてうまく部下を育てることはできないし、子育ての多くの場面でイライラするのではないかと思うんです。
(私は出産してから今まで、自分の「我」と向き合って、それを抜き続けているように感じるんです。
もちろん今も続行中。この年になってから「我」に気づいて修正するのはキツイ作業ですが、やはりこれをやらないと人生の後半すごい辛いというか、人として進歩しないだろーな・・・という予感がしまくり~なんですよ、それほど私って本当に「我」「我」「我」「我」で生きてきた人間なんですナ・・・)
ちなみに、この本が書かれた時代は、産後も女性が仕事に復帰するというのは滅多にない状況だったと思うんで、仕事してる母親についての言及はないんですね。
このあたりは現代の母親にとって難しい課題なのかな~と想像します。私はずっと専業主婦なので、仕事している母親がどれだけ大変かというのは想像するしかないですから・・・。
ただ、大事なんだろうな~と思うのは、男は男ならではの仕事を全うし、女は女ならではの仕事を全うすること・・・それが家庭でうまく分業できバランスが取れているのは理想だな、ということ。
妻と夫が、双方互いに相手に不平不満がある状況と、ない状況とでは、子どもへの一貫した躾や、安定した愛情供給量に差が出るだろうと理解できます。それが、子どもの精神状態ひいては学力にも差が出ていくのだろう、と。
現代では、家庭によってかなり状況は異なると思うので、「根本的にこれが大事」というエッセンスを明確にすることが必要だろうな。子どもをどんな人間にしたいか。どうなって欲しいかを夫婦で共有すること。
そのために、夫婦で力を合わせてどうしたらよいかを各家庭ごとにハッキリ意識化すること。
夫婦共に最大限の努力をし、労り合い、理解と思いやりを持ち寄ること。
ナノカナ~・・・・と、あれこれ本当に考えさせられる本でした。
この本の最後に、書かれている部分を抜粋します。
「我が子の教育には実に絶大な忍耐力が要るわけです。教育に焦りは禁物です。教育に近道はないのです。一つ一つ小石を丹念に積み上げるよりほかはないわけです。それゆえそこには、隠れた人知れぬ絶大な忍耐力が必要なわけです。
このように、我が子を正しく育てる母親になるためには、その基盤として実に『絶大な忍耐力』が要るわけです。しかもそうした忍耐力たるや、1人我が子を育てる上に必要なだけでなくて、実に人間としてい生きる上に、いかなる人にとっても、非常に大切なことは、今更申すまでもないことでしょう。
このように考えてきますと、母親としての真の愛情が身につくためには、まず母親自身が人間としての『魂の開眼』が必要でありまして、いわば母親自身の「人間革命」がなされなくてはならないわけです。それと申しますのも、我が子のためとはいえ、『絶大な忍耐力』というものは、人間革命なくしては絶対に不可能だからであります。
人間革命などと申しますと、何か難しいことにように聞こえますが、分かりやすく言えば『我』を捨てるということだといってもよいことでしょう。
現在皆さん方のお育てになっておられるお子さんたちのお一人お一人が、すべて来るべき21世紀には、この日本を背負って立ち支えていただかねばならぬ方々ばかりなのです。
そもそも我々人間にとって、家庭というものは「人間形成の道場」と言えると思いますが、そのような家庭教育の中心責任者は、我々男子ではなくて、実に皆さん方女性なのであります。
ですから、世の心ある人々によって「女性は家庭の太陽である」と言われるのも、実はこうした真理を言うわけです。
(略)
そもそも女性というものは、家庭における太陽であるとともに、民族における「大地」にも比すべきものと言えましょう。なんとなれば、女性は子を産みかつ育てるという民族の神聖な使命を負わされているがゆえんです。したがって、女性の弛緩は民族の弛緩となり、女性の変質は民族の変質につながります。
かくして民族の将来と言う点からも、はたまた我が家・我が子の将来という点からしても、母たり妻たる女性の責務は重大であり、我が国の教育再建の根本も結局は母親の叡智と愛情によると申せましょう。
どうか我が子を立派な人間に育て上げることに、女性としての真の生き甲斐を感ずるような真の母親になっていただきたいというわたくしの深い心願をもって、この講述を終わることにしたいと思います」
森信三氏の情熱と気迫がドーンと溢れる筆致にドキ!!とするラストでした。
凛と背筋を立て、まっすぐに見据えた眼力でお話される森先生の声が聞こえてくるようです。
この本の最初と最後に「我」を抜くことが繰り返されています。
それが人間革命であり、真の愛情を注ぐために必要不可欠であることが、ハッキリと伝わります。
「我」が抜けないままだと、「子どものためを思って」とか「これも親の愛情だったのよ」という名目の下で、親のエゴ入り偽愛情でもって何かしらのトラブルを生み出すのではないか・・・開眼してないと、無自覚なままで何か偏った育児をするのだろうな、と。
だから、トラブルというのは、自分の「我」を見つめる絶好のチャンスだということですね、きっと。
子どもに何かしらの問題が出てきたら、さぁチャンス!きっとそこには、必ず「我」の抜けてない無自覚な部分の自分が居るはず。
さ~~~~・・・・て!!
イスを入れること、脱いだ靴を揃えること・・・・
だったっけ。
って、これ、私が出来るようにならなくちゃ、だよね?
やばすぎる。
修行です、本当に。
頑張ってみます。今日から。
えいえいおーーーー!
出典:http://aikoron.blog16.fc2.com/blog-entry-1292.html#more
EduKidsボードメンバー:ころん プロフィール
東京生まれ育ち、現在千葉県在住 現在小学生のママ
大学卒業後、予備校スタッフとして生徒の進路指導を中心とした学習指導の仕事に携わる。
結婚後に夫と世界一周の旅をした。
出産後は、性格分類学「エニアグラム」の講座にて中級終了、アドラー心理学をベースにした勇気づけ子育て、モンテッソーリ教育を中心とした幼児教育を、各種講座に参加してきた。
子どもが小学生になってから保育士の資格を取得し、現在は認可保育園にてパート保育士として仕事中。
来年からは子どもが中学受験のための通塾が始まる。
ちなみに夫は英語講師&予備校運営責任者なので、夫婦で教育について語りだすと止まりません・・・
趣味はピアノ演奏と絵画、子どもと一緒に始めた囲碁。