EduKidsボードメンバー・ころんさんの子育て読書推薦の第2弾。今回は通信簿がキーワードです。*****************************************半身浴をしてる間の20分間で、何の本を読もうかな~と考える時が最近のお楽しみ。今日は久しぶりに河合隼雄氏の「こどもはおもしろい」という講談社+αの文庫本を読みました。教育者たちとの対談集なんですが、教育関係の話はわが子の将来とリアルに繋がるので、子供を持つ以前よりずっと心に入ってきます。小学校教諭(対談当時)の岸本晃さんとの対談が面白かった~~!岸本さんはいろいろユニークなアイデアを出し、独自のエネルギッシュな方法で子供たちと心を通わせているのですが、中でも面白いのが「先生の通信簿」というのをやってて、それは、子供たちに先生を評価させるってやつです。学期末に生徒に通信簿を渡す時に、同時に生徒からもそっくりフォーマットが同じの通信簿を先生も受け取るの。先生の教え方や生徒との関わり方などが項目になってて5段階評価。所見欄もあって、生徒が先生への一言コメントを書くのです。で、通信簿を交換して握手するんだって。す、すごい。今なら、予備校とか大学では、学生による講師の評価をアンケート方式で取らせてる所は珍しくないですが、それも競争の激しい予備校という教育産業では、顧客サービスの向上のためって意味もあるから「なるほど、学生による講師の評価はいいね。有能な先生が育つためにも有効手段なのでは?」なんて素直に感じます。が、小学生が先生を評価するって、最初は単にビックリしました。岸本さんはそれを20年も続けてるんだって。学校全体がやってるんじゃなくて、校長の許可を得て独自にやってるんですが、周囲の反応は様々で「それは面白い。生徒はどんな反応するんだろう。私はどう評価され何を書かれるだろう、やってみよう!」として実際にやる先生は全体の10%ほどで、90%の人は「ちょっとそんな勇気はない」と尻込みするそうです。そりゃそーだろうな。普段、上の立場にたって教えてる先生は、基本的に自分が正しいと思いやすいし、いくらでも威圧的・高圧的になって生徒からエネルギー搾取することも、教育って言葉ですり替え可能だし。そんな風に生徒と関わってたら、逆に生徒から評価されるなんて恐ろしくて無理!って心境になるかもってか私だったら尻込み派だな。でも尻込みする自分を「どーなのよ、自分っ!」って長い間考え続けるだろうな。先生の通信簿をやれるようになったら私は相当に人間として成長してそうな気がするよ・・・って話がズレた。で、岸本さんは「先生の通信簿をやろうと話すと、多くの先生が『怖い』『自信がない』と言いますが、僕は『面白いから』という視点でやってるんで、悪い評価をもらっても『あ、しもた』という感じでね』と言います。「でも、意外と子供は優しいです。『先生、厳しいこと書くで』『覚悟しといてや』なんて言うけれど、実際の通信簿所見欄は、やっぱり優しい」岸本先生の「整理整頓」の項目に厳しい評価をつけた生徒については、このように言っています。「そこらは、だらしない子ほどシビアにつけますね。人には厳しいです。その後、中学で荒れた子がいましたが、荒れた子というのはものすごく人に厳しいですね」ここを読んで、はー、岸本さんは自分と他人の問題の境界線をビシッと引ける人だな~と感動しました。悪い評価された時、その通りだって時は「あ、しもた」と反省するけど、子供の抱える問題ゆえに厳しい評価になる時は、それを見抜いて冷静に判断してる。でも内容によっては子どもに「あ、ごめんな」って謝らなきゃならないこともある、と謙虚に話しています。このスタンスが普通はなかなか取れないんだと思います。教え子たちからの辛辣な評価があったら、多くの人は「どうしよう」と慌てたり、過剰に自分を責めたり、逆にその子供の問題に責任転嫁しようとしたりして心のバランスを取り戻そうとしちゃうんじゃないだろうか。けれど、辛辣な評価の中から「この部分は私の責任(問題)、でもここから先は相手の責任(問題)」と見抜けるというのは素晴らしい。どうしてそういう風になれるかっていうと、これは自分のことも相手のことも、深い部分で信頼してるから、なんだと思うのです。自分の限界を知り受け入れて、自分を真に愛する力のある人は、そのまま他人の限界を知り受け入れて他人を真に愛します。だからこそ、自分に投げかけられる辛辣な言葉があっても、その言葉そのものを吟味する余裕や落ち着いたスタンスが自然とできてるんだと思います。また、その厳しい言葉が自分の存在そのものを否定してるわけじゃないってことも、素直に分かるのでしょうね。不完全なままの自分を等身大に受け入れられなきゃ、こういうことって出来ませんから、これを教える立場の先生ができるってのがスゴイと思うのです。強い向上心と、飽くなき好奇心と、柔軟で謙虚な心が同時存在してるんだな。これは本当にすごいこと。後書きで、聞き手であった河合隼雄さんも同様に、こう書いてました。「岸本先生の話を聞いていると『勇気』というよりは、子供に対する『信頼感』が大きい支えになっていると思われる。考えてみると、すべての勇気ある行動の背景には、何らかの信頼感が存在している、と言えるのだが」そうなのそうなの、すごい分かる。小学生の教え子に自分を評価させるなんて勇気あるなーって思えるけど、実は、自分のことも他人のことも深い部分でバッチリ信頼してるから、できることなんだな、と。ここで、ふと、私が親に対して通信簿を書くとしたらどうなるか、と思いつきました。で、それって実は自分自身を鏡のようにして映し出すものだな、と思います。例えば、私がまだ幼い未熟な学生だったら、親には厳しい評価をするでしょう。けれど私も親となり、人生経験が増えたせいで親の状況に思いが寄せられるようになると、厳しい評価なんてできなくなりますね。心が成長すればするほど、自分の不完全さや限界を知り、だからこそ他者の不完全さや限界を受け入れ許すことができるんですね。身近な他者や状況を、どのように捉えて判断するかは、そっくりそのまま、今の自分の精神成熟度レベルを映し出すって感じ?相手を辛辣に評価したくなったら、さあ、自分を見つめるチャンスだよ!ってことだよね。考えてみれば、周囲に対する愚痴が多い人は、やっぱり自分にもそれなりの問題を抱えてるものね(もちろんこれは、日常レベルの内容の話です。犯罪とかそういうレベルでは話が違うけどね)。私ももちろん、誰かをひどく責めたくなる時は、まさに私の問題がそこにあるのです。この仕組みを知ってからは、問題点がクリアに浮かび上がる上に、自己と他者の線引きが明確になり、ゆえに問題解決がスムーズになるので、精神的にとても楽になりました。ちょっと前からベストセラーになってる「鏡の法則」って本が大きな参考書になりました。他人はまさに自分を映し出す鏡だってことが分かります。相手の中に見る問題は、実はそのまま自分の問題なの。きっと岸本さんもそのあたりを熟知してるから、先生の通信簿を「面白いから」というサラッとした一言で華麗に取り組めるんじゃないだろうか。などなど、あれこれ考えさせられたことを書きなぐっちゃいました。大人になった息子から、優しい通信簿をもらって、スキップしながら神様の所に還る日が楽しみです。出典:http://aikoron.blog16.fc2.com/blog-entry-664.html#more EduKidsボードメンバー:ころん プロフィール東京生まれ育ち、現在千葉県在住 現在小学生のママ大学卒業後、予備校スタッフとして生徒の進路指導を中心とした学習指導の仕事に携わる。結婚後に夫と世界一周の旅をした。出産後は、性格分類学「エニアグラム」の講座にて中級終了、アドラー心理学をベースにした勇気づけ子育て、モンテッソーリ教育を中心とした幼児教育を、各種講座に参加してきた。子どもが小学生になってから保育士の資格を取得し、現在は認可保育園にてパート保育士として仕事中。来年からは子どもが中学受験のための通塾が始まる。ちなみに夫は英語講師&予備校運営責任者なので、夫婦で教育について語りだすと止まりません・・・趣味はピアノ演奏と絵画、子どもと一緒に始めた囲碁。