EduKidsボードメンバー・ころんさんの子育て読書紹介。今回は子どものいる家庭なら必ずぶつかる躾の問題。
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先日読んだ本、『「考える力のある子」が育つ、シンプルで確実な方法』というの、面白かったよ~。
「子どもがぐずったり、聞きわけがなかったり、泣きわめいたら、あなたはどうしますか?」と始まるこの本。
かなり多くの母親は、そういう時は「ダメでしょ、◎◎しなさい!」と、「こうすべき」という方向を強く押し付けてしまいがちです。
これは完全に間違いではないけれど、もっと良い方法があることを、具体的に詳細に解説されている本でした。
(思うに、育児の方法って「これが正解」は無いけれど「こっちよりは、こっちの方がより正解に近い」というのは、あるな~と思う今日この頃。子どもがマズイことをしたら即、ぶんなぐる!よりは、言葉で説明する方が正解に近い。その言葉の内容も、『あんたは何でいつもそうなの!』と感情的に怒鳴るより、もっ正解に近い言葉の使い方がある・・・という意味です)
さて、この本では、子どもによって考える能力がビックリするほど違う、と。
トラブルが起こったらすぐに感情爆発させてウギャー!と泣き叫ぶとか、すぐに相手に暴力振るうとか、逆に、「じゃあこうしてみない?こっちはどう?」と代替案が次々出てくる子、とか。
(実はこれは、大人でも同じなんですが)
簡単に説明すれば、何かトラブルが起こった時に、
「むむ。これは後々、このような結果になってしまうだろうな。・・・・このやり方じゃマズイから、こうしてみよう。いや、まてよ。こうした方が良いか?いやいや、そうじゃなく、こういうやり方もあるぞ」
と考えられるかどうか、ということですね。
この選択肢を選ぶと、結果はこのようになるだろう。
こっちの選択肢を選ぶと、こうなるかもしれない。
ベストな方法がどれか?
と考えることができ、試行錯誤する勇気と、失敗から学べるだけの自尊心がある、そんな人間になれたら理想ですね。
けれど、そうなれずに大人になった人って、職場でも必ず居ましたね。例外なくトラブルメーカーだったり、部下からは軽視され、結局は「仕事できない人」と見られたりしてましたね。
「考える力」というのは、人の能力の基礎的な部分なんだろうな、と思います。
考える力をつけるためには、まずそれに必要な「言葉」を習得する必要がある、とこの本では書かれています。
幼稚園児~小学生にかけては特にこの言葉と、その使い方をちゃんと学べたら、考える力は自然とついていくだろうと思えますが、それを阻害することもまた、特に母親にとっては簡単で自然にやっちゃうことなんだと反省しました。
「どちらも」なのか「どちらか」なのか。
「その前に」なのか「その後に」なのか。
「今すぐ」なのか「あとで」なのか。
「タイミングがいい」のか「タイミングが悪い」のか。
このあたりを整理してないと、人間関係をうまく運ぶことが難しくなるんですね。
これは当たり前のように出来る人も多いけど、そういえば、これが出来ない人が、職場では特に「だめだこりゃ」的な存在になってたよなぁと思い出されました。
で。
具体的に、こういうシチュエーションが紹介されています。
友達Aちゃんのオモチャを無理やり取り上げた息子J君を叱る母親と、J君のやりとりです。
母 「J!先生から聞いたけど、またオモチャを無理やり取ったでしょう。どうしてそんなことしたの?」
J 「だって欲しかったんだもん」
母 「一緒に遊ぶか、かわりばんこにすればよかったでしょう。無理やりとるのは良くないわ」
J 「だって磁石はぼくのだよ!」
母 「自分のオモチャでも仲良く使わなくちゃ。それが出来ないのなら保育園に持って行っちゃダメ。Aちゃんは怒ってるって。もう仲良くしてくれないかもね」
J 「だってママ、Aちゃんったら、ぼくの磁石、返してくれなかったんだもん」
母 「だからって、無理やりとっちゃダメでしょ?Aちゃんに同じことされたら嬉しい?」
J 「やだ」
母 「明日、Aちゃんにごめんねするのよ」
と。
アメリカ人の著者ですが、こういうの読むとアメリカの母親も日本の母親も、本当に同じこと言っちゃったりして、同じ悩みを抱えるのね~と微笑ましくなってしまいます。
それにしても。
うわ~も~見事に良くある、良くありすぎて聞きなれすぎてる親子の会話ですぅ~。
私もやってます~これ~、あ~~~~~~。こうしてハタから読むと、口うるさいっすね~これ。
そして、どれほど効果ないかって、良く分かりますね~。おそろし~。
こうやって、母親が「一緒に遊ぶか、かわりばんこにすれば」「無理やりとるのは良くない」「同じことされたら嬉しい?」というのは、まさに正義。
そりゃもう正しい。正論。
しかし、これはつまり、母親が一方的に子どもの言動をダメと決めつけて、その解決方法を押し付けてるわけですね。
子どもが自分で考える力を、見事に奪うコミュニケーションの取り方だ、と説明されています。
じゃあ、どうすればよいか、と。
母 「そんなふうにオモチャを取り上げたら、Aちゃんはどう思うかしら?」
(Jに相手の気持ちを考えさせる)
J 「頭にくる。でも、いいもん。磁石は僕のだもん」
母 「磁石をとりあげたら、Aちゃんはどうしたの?」
(Jに自分の行動の結果を考えさせる)
J 「なぐった」
母 「なぐられて、どう思った?」
(Jに自分の気持ちを考えさせる)
J 「頭にきた」
母 「あなたは頭にきた。Aちゃんも頭にきてあなたをなぐった。オモチャを返してもらうのに別の方法はないかなって思わなかった?2人とも頭にこなくて、あなたもAちゃんに殴られなくてもすむよう方法はなかったかしら?」
J 「返してってお願いすればよかった」
母 「そうしたら、どうなったかしら?」
(友好的でうまくいく方法で対処した場合の結果を考えさせる)
J 「Aちゃんは、『嫌だ』って言うよ」
母 「そうかもしれないわね。ほかにオモチャを返してもらう方法はないかしら?」
(母は諦めないでJをはげまして別の解決法を考えさせる)
J 「僕のオモチャの車を貸してあげればよかったかなぁ」
母 「それはいい考えね。ほらこれで、ほかの方法が二つも見つかったじゃない」
以上。
当然ながら、このようなやり取りの最中、母親の心中に『君の間違いを正してやろう!』という支配的な下心があったら上手くいかないわけです。中立なスタンスで、子どもの考える力を後押しするだけの目的で、冷静にコミュニケーションを運ばなければ意味無しね。
しかし、多くの親は、「子どもをちゃんと躾けなくちゃ!」という「目先の思い」だけで、ワーッと「正しいやり方」を子どもに矢継ぎ早に教え込もうとしちゃうんだろうなと思います。
親には「子どもの力を奪ってやろう」というつもりはなく、ただただ、悪いことをちゃんと教えて、どうするのが正しいやり方なのかを教えなくては!という思いがあるだけ、なんですね。
けれど、深くその動機を見つめると、親の中に「不安」「恐れ」があるのだろうな。
「そんなに我儘で乱暴者だと、嫌われてしまう」「ここでしっかり教えこまないと将来が心配」「ちゃんと躾けなくては母親の私が悪く思われる」みたいな。
「不安」「恐れ」が根本にあると、そのネガティブエネルギーに覆われて、冷静な判断や思考能力が奪われるのだろうと思います。
そうじゃなく。
「おお!これは物事を整理して考えるチャンス!」「このトラブルをどう解決していけるかな?」というポジティブな動機が常にあると、私たちはより広い視野を得て、子ども(他者)の力を引き出して導びけるのだろうな、と思うんです。
なので、メンターのように子どもに接して彼の力を引き出すには、母親自身が、潜在意識に持っている「恐れ」「不安」を自覚して、いかにその動機で人間関係を捉えているかに気づく方がいいんじゃないかな~、な~んて思いますが、どうだろうね。
などなど思いめぐらしていたら、さっそく今日、息子が言ってきました。ちゃ~んす♪
「今日ね、幼稚園で、Mちゃんが折紙を8枚、折ったの。
折紙は全部で10枚しかなかったの。
だからS君は2枚しか、折れなかったの。
それを見ていてT君が『Mちゃんズルイ!8枚も使ってズルイ!』って怒ったの。
ねえママ、Mちゃんって、ズルイの?」
「ゆうごは、Mちゃんはズルイって思った?」
「・・・ゆうご、分からないんだよ。だから教えて欲しいの」
「・・・そっかぁ~。S君は2枚しか折れなかったんだよね、S君はもっと折紙を折りたかったのかな?」
「うん、そう思う」
「でも、Mちゃんは8枚折っちゃったから、S君は折れなくなっちゃったんだね?」
「そう・・・でもさぁ、Mちゃんはズルくはないと思うんだよ・・・」
「どうしてズルくないと思うの?」
「だってさぁ・・・あー・・・うーん・・・何て言えばいいか、ゆうご、分からないよー!!」
「Mちゃんは、わざと、意地悪な気持ちで8枚も折ったわけじゃ、ないから、かな?」
「うん!そうそう!それ!Mちゃんはさ、ただ8枚折っただけなんだよ」
「そうだね。だけどT君はその様子を見てて『Mちゃんはズルイ!』と言ったんだね」
「そうなんだよ、Mちゃん可哀想だったよ。S君よりもMちゃんの方が可哀想だと思うんだよね~」
「じゃあ、どうすれば良かったのかねぇ」
「う~ん・・・・う~ん・・・・難しいよねぇ・・・」
「T君が、ズルイ!って言ったけど、他に、どう言えば良かったんだろう?」
「うん!そうそう!全部で10枚だからMちゃんは8枚も折らない方がいいよって言えば良かったんだー!
ズルイ!なんて怖い声で言わなくても、良かったんだよー!」
「そうだね~!」
という感じに、見事に理想的な結末になるじゃないですか~!
こういう時、私はセッカチによく「そりゃ◎◎すればよかったんじゃないの?T君の言動は「余計なお世話」ってヤツでしょ!当人同士で解決すべき問題だしソレ」みたくワーッと自分の正論を展開しちゃうんですわ。
でも、落ち着いて子どもの話をオウム返しにして傾聴することで、確かに子どもは自分で考えようとしますね。どこで手助けすればよいかも、自然と見えてくるものですね。
それにしても、息子らしいです。
優しい子なんだな、と思います。
もちろん、自分自身が意地悪なこと言われた~と言って私に愚痴ることも多いんですが、こうやって、MちゃんがT君に、真意を誤解され、キツイ言い方で責められたことに関して、モヤモヤを抱えていたなんて、ね。
2枚しか折れなかったS君。
T君にキツく責められてしまったMちゃん。
その様子を見ていて、「う~んう~ん!」悩んでしまうんですね、彼は。
ちなみに。
息子が「T君に意地悪なことを言われたー!」と私に泣きついてくる時、「じゃあどうすればよかったかな?」モードに持って行くと良いタイミングと、良くないタイミングがありますね。当然ですが。
7~8割は、息子は私に一緒に怒って欲しいのです。
「そうなの!?ひどいねぇT君は!それはT君はイケナイねぇ」と言って欲しい。そうやって、「ママは自分の味方なんだ。ちゃんと自分の気持ちを分かってくれるんだ」と確かめたいことが多いみたい。
2~3割は、本当に解決法が知りたい気持ちがありますね。そしてスッキリすると本当に嬉しそうに、誇らしそうな顔をしますね(^^)。
年中になってからは、毎日いろ~んな葛藤があるようで、すごい勢いで人間関係のアレコレを体験学習してるんだなぁ~と、本当に興味深く思います。
親としては、そんな彼の「学びのチャンス」を活かせるようなコミュニケーションを取っていけたらな~と思いを新たにしました☆
出典>>http://aikoron.blog16.fc2.com/blog-category-17.html
EduKidsボードメンバー:ころん プロフィール
東京生まれ育ち、現在千葉県在住 現在小学生のママ
大学卒業後、予備校スタッフとして生徒の進路指導を中心とした学習指導の仕事に携わる。
結婚後に夫と世界一周の旅をした。
出産後は、性格分類学「エニアグラム」の講座にて中級終了、アドラー心理学をベースにした勇気づけ子育て、モンテッソーリ教育を中心とした幼児教育を、各種講座に参加してきた。
子どもが小学生になってから保育士の資格を取得し、現在は認可保育園にてパート保育士として仕事中。
来年からは子どもが中学受験のための通塾が始まる。
ちなみに夫は英語講師&予備校運営責任者なので、夫婦で教育について語りだすと止まりません・・・
趣味はピアノ演奏と絵画、子どもと一緒に始めた囲碁。