子どもの習い事に対する考え方、各家庭それぞれだと思いますが、改めてその意義を見つめ直してみましょう。音楽教育に関心あるママ・パパに、様々なケーススタディを提供する子育てエッセイ。【習い事の意義って?】 3回にわたって娘とヴァイオリンについてお話ししてまいりました。演奏家になってゆく人の多くは、大なり小なり、親の理解と努力が伴っている事が判ります。そして何より、子どもの欲求に叶っている事が大事だと思います。私も親となってかなり経ちますが、今、子供に程よい距離感や感覚で向き合えているかどうか、興味や関心を持てているかを常に自問自答している日々です。 周りの人の意見も取り入れつつも、我が家らしく、無理のない範囲で模索してゆくことが大事。皆さんも、皆さんのご家庭の中で無理のなく、親子で成長できる何かを見つけてもらいたいと思います。そして、見つけた事が、より深い家族のコミュニケーションの手段になる事を祈ります。 では、タイトルに入りましょう。「習い事の意義って?」。意義・・・、何とも固い表現になってしまいましたね・・・そもそも習い事ってどうしてさせるのでしょうね?そんな事を今一度考えてみましょう。色んなご意見があると思いますし、お子さんの年齢によって捉え方、考え方も様々だと思いますが、特に幼少期における習い事は、「小さな社会に出る勉強」であり、「意識を持って興味のある事に取り組み」、その中で「目的を持って続けていく」事を体験・訓練させ、習得する術を学ぶ練習のためにあるように思います。 これまで私は子ども達に体操教室、美術教室、幼児教室、タップダンス、ヒップホップ、ゴルフ、水泳、音楽教室、ミュージカルを経験させました。そのどれも特色があります。先生のスタンスやレベルもまちまちです。1つ1つの具体的な内容はともかくとして、お約束の時間に様々な交通手段で向かい、会場についたら先生や関わる方々にご挨拶をし、レッスンが終わればご挨拶をして帰路につきます。道中では、歩道や横断歩道の歩き方を学び、電車などの乗り方や車中の過ごし方を覚え、レッスン中は、その中のルールに従って学び取って行く作業になります。大人にとっては、特に意識する事もなくこなせてしまう何気ない1連の作業ですが、子ども達にとってはこの作業を繰り返すことによって、時間の感覚であったり、あいさつの習慣といった基本的な事を学び取り、内容に関連したプロセスを覚えてゆきます。 子ども達は全て興味を持って通っていましたが、会場が遠かったり、年を経て勉強やヴァイオリンが忙しくなると、時間が取れない事もあって敢え無く辞めざるを得ない状況になりました。そこで気づいたことは、無意識のうちに、習わせているものの序列が出来ていたという事です。何が一番やりたいことなのかをはっきりさせ、習い事によってはここまでクリアしたらもうOKでしょう?というボーダーを決めておくと良いのかもしれません。幼少期は特に、真っ白なキャンパスに色を落としていく作業のイメージで、大人が何を施してゆくかが大事で すね。 子ども達は面白いもので、学び取った事から次なる物事を考え、新たな学びへとつなげていきます。その子の資質や興味に叶った習い事をさせてあげる事は、よりアクティブな発想を生み、発育への大きな促しになり、更なる発達への架け橋になると感じます。・・・とは言っても、中々何が良いのか、直ぐには判りませんよね。だからこそ、幼少期は大いに関わり、その子を見つめて色々な経験をさせてあげて欲しいと思います。その関わりの中で、一緒に模索してコミュニケーションを取ることも、お子さんにとって大事な事だと思います。