2011年3月11日、東日本大震災から3年。今後20年、30年と復興の道を歩み続けなければならない子どもたちを支援するため、世界50か国で展開する音楽教育組織「エルシステマ」を初めて福島県相馬市に導入した菊川穣さん。復興とともに、音楽教育が子どもたちに持たらす可能性について、様々なエピソードを交えて語っていただきました。
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エルシステマとは:
南米ベネズエラでホセ・アントニオ・アブレウ博士によって始められた社会変革を目指した音楽教育組織。家庭の経済状況にかかわらず、すべての子が無償で集団での音楽教育が受けられる仕組みが原点で、子ども達が自ら協調性や規律を学びながら、目標に積極的に取り組んでいく姿勢をはぐくんでいくことによって、希望や誇りを持てることを目的としている。世界的に活躍する若手色紙者グスターボ・ドゥダメルなど多くの一流音楽家を輩出しているだけでなく、子ども達を犯罪や暴力から守り、学業面などにポジティヴな影響を与えている。
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インタビュアー(以下I):2012年3月に設立され、もうすぐ3周年を迎えるエルシステマ・ジャパンですが、最近の活動について教えてください。
菊川さん(以下K):福島県相馬市にルイ ヴィトンが創った「LVMH子どもアート・メゾン」という施設で、現代音楽作曲家の藤倉大さんの作曲教室をやっていて、これが大変好評です。2か月に1回程度なのですが、クラシックギターやピアノなど、現代音楽で活躍するアーティストを呼んで、子どもたちに演奏を聞かせた後、自由な発想で作曲をさせるというものです。参加条件は楽譜が読めること、それだけです。クラスでも、作曲に関するアドバイスは一切なく、楽譜に書き起こすということだけが条件。最初は遊んでしまっている子どももいますが、最後は皆ちゃんと作り上げます。
I:子どもたちの反応はどうですか?
K:最初はどうなるかまったく分らなかったのですが、皆継続的に来てくれているので、面白いのだと思います。この作曲教室には、アメリカを中心に活躍するICE インターナショナル・コンテンポラリー・アンサンブルのメンバーが参加し、様々な楽器を使って子どもたちのイメージした音をその場ですぐに演奏してくれたこともあります。そして、東京で行われた自分たちのコンサートで、相馬の子どもが作曲した曲を演奏してくださったのです。
I:楽しそうだし、ある意味とても贅沢なレッスンですね。
K:そうなんです。藤倉さんは、以前ロンドン近郊のいわゆる荒れた地区の学校で子どもに作曲を教えていたことがあり、作曲という自己表現を通じて子どもたちが変わっていくということも経験則としてご存じで、音楽が子どもの教育に与える可能性を肌で感じていらっしゃいました。藤倉さんいわく、「これ、カレッジ・オブ・ミュージックの大学院生向けのクラスより高度だよ」とおっしゃってましたよ(笑)。
団員の中に強度の弱視の女の子がいて、オーケストラにも作曲教室にも、拡大した楽譜を持って積極的に参加しています。熱心だなと思っていたら、先日、あの辻井伸行さんも入賞した「ヘレン・ケラー記念音楽コンクール」のピアノB部門(弱視の子が参加)で日本一になりました。
I:現在活動している子どもは何人くらいですか?
K:オーケストラは約90人、合唱は60人くらい。下は4歳から17歳までですね。相馬の小学校では元々弦楽合奏・合唱の部活動が盛んで、そこに所属していた子どもたちを中心に、2013年4月から週末練習という形で活動が始まりました。特定の小学校は部活があるけれど、他の学校や、中学になると部活自体がなくなってしまうので、皆が継続できるように小、中学校をまたいで活動出来るようにしました。2013年4月に週末教室を始めた当初は30人くらいだった人数も、同年夏には一気に5~60人くらい増えましたよ。楽器はすべて寄贈、去年はなんと本場イタリアのクレモナはストラディバリウス弦楽器制作学校からも寄贈を受けて、中には値段のつかないようなヴァイオリンがあったりしますが、皆自宅に持ち帰って、平日は家でも練習しています。隔週の土曜日には習熟度別のグループレッスンを朝から夜までやったりなので、結構インテンシブですね。
I:エルシステマの活動では発表の場、いわゆる本番が多いと聞いていますが。
K:そうなんです。ベネズエラではほぼ週一の割合で何かしら発表の場があり、相馬でも2週間、最低でも一月に1回くらいは、地元敬老会などでのコンサート含めて、発表の場を設定しています。これがエルシステマの特徴「習うより慣れろ」の精神で、子どもたちに非常に良い刺激を与えています。また、地元地域への貢献という意味でも、良い経験を積ませていただいています。
I:子どもの継続率についてはどうでしょう?
K:やはり個人ではなく皆でやるというところが楽しく、続けていこうという気持ちにさせるのだと思います。また、親、近隣の方々への発表の場を、皆で共有出来るのも励みになるようです。実際に、青山学院大学社会情報学部苅宿教授のチームでで行われている外部評価でも、エルスシテマの活動を通じて親子間の会話が増えた、という報告があがっています。
I:印象的なエピソードなどありますか?
K:小2と中2の女の子、同じヴァイオリンなのですが、普通なかなか接点を持てないけれど、エルシステマではペアを組んで教え合います。下の子にとっては非常に刺激的ですし、上の子は下の模範とならなければと頑張ります。同じ楽器を通じて、通常にはない繋がりが発生しますね。
I:活動を通じて子どもたちが大きく変わったと感じることは?
K:子どもたち一人一人に自信がついたことですね。親も積極的に関わってくれると、親子間の会話も増えますし。親の関心度も継続には大きく影響しますので、ここは今後の大きな課題のひとつなのです。相馬はひとり親の家庭も多いので、練習の送迎などの親の負担の影響で、子どもが来たくても来られなくなってしまったケースもあります。練習自体が無償だということだけでは解決できない課題で、乗り越えなければなりません。
I:子どもたちの集中力の高さには変化は感じられますか?
K:これは、活動当初から比べると、かなり大きな変化を感じます。アメリカのエルシステマの方が相馬に来て、日本の子どもたちの集中力には本当に驚いていました。音楽を学習するということで大きな成長を感じられる部分です。たとえば、ヴァイオリンという楽器をとっても、楽譜をみて、音を聞いて、右手と左手で違うことをする、というこの動作だけでもかなり複雑なのに、それに一定の時間、集中して出来るというのは本当にすごいことですよ。
I:巷で良く言われる「ピアノは3歳になったら始めなければ」というような、いわゆる音楽に対する「3歳児神話」についてはどう思われますか?
K:まったく関係ないですね(笑)。もちろん個人差はありますけれど。逆にヴァイオリンなんかですと、耳が良い子はいつまでも楽譜が読めるようにならなくて、なんて話もあります。絶対音階とはまた違う話なのですが、少なくとも音楽を楽しむという観点からは何も問題ないと思います。
I:エルシステマの理念でもある「教えあいのシステム」については?
K:これはなかなか難しい。喧嘩になることもありますし(笑)。基本的には資質のある子どもに自覚を持ってもらう、というスタイルです。「自己肯定感」といって、リーダーとして指導するのに大切な意識で、日本人には足りないと言われがちな部分ではあるのですが、これがあり過ぎてもまた困ったもので。音楽的技量とリーダー的資質は決してイコールではないので、本当に難しいです。一応、「なんで出来ないの?」とか「こう言ったでしょう?」とか、NGワードは使わないというルールでやっています。
I:世界各国のエルシステマと比べてみて、日本はどうでしょうか?
K:うーん…比較自体、あまり意味がないのです。エルシステマは、システムなんだけど、形やメソッドではないのです。それぞれ違った、でも困った状況の子どもに、汎用性あるたったひとつの方法では通用しないでしょう。体系だったものではなく、良い所取りが基本。システムとしてユニバーサルなもの、というわけではないのです。
I:他国エルシステマをご覧になった菊川さん自身の感じ方は?
K:日本の子どもはとても真面目。もっと楽しむことを知ってほしい。もっと上手くなりたいよりも、演奏して楽しい、聴いてもらってうれしいを重視してほしいです。オケに入る=楽器が出来る、じゃなくて良いのです。出来ないからオケで練習して、出来るようになる、がエルシステマの考え方です。もっと自由に楽しんで良いのです。
I:菊川さんとエルシステマの出会いは?
K:ユニセフで東日本大震災の支援活動をしている時に、ベルリン・フィルハーモニーのホルン奏者ファーガス・マクウィリアムさんから「東北でエルシステマをやらないか」と持ちかけられたのがきっかけです。長期的な子どものための支援について考えているところでしたし、自分自身もユネスコ、ユニセフでの9年間に渡るアフリカでの経験で、日常での音楽の持つ力、それを純粋に信じて、音楽で社会が変わる、という部分では、おそらく楽観的だったのでしょうね。福島はもともと合奏、合唱など音楽活動が盛んで、教育委員会の理解を得ることが出来たのも大きな要因です。
また、自分も小さいころから音楽に触れ。高校では吹奏楽、そのあとは指揮者もやったりしました。今は聴くのが専門ですが、経験則からどんなことが起こるかを想像出来て、そこも楽観できました。運営的にはもちろん不安材料だらけでしたけど(笑)。2012年の2月にファーガスさんの友人から「相馬にエルシステマが出来るんだってね!」と電話があって、「いやいや、まだ出来たら良いねって話だけですよ」と答えたら「9月にベルリンで行うチャリティコンサートは相馬のエルシステマのために行うって、もうプレス発表しちゃったよ」と言われて。
I:それはまた、ずいぶん乱暴だけど素晴らしい後押しですね(笑)
K:それまで、何となく出来そうだけどすぐは無理かなと思っていたことが、この一言で動き出しました。翌月3月に社団法人として立ち上げ、5月から相馬市と協定を結びました。
I:10歳のお子さんのパパでもある菊川さんですが、ご自身の教育感は?
K:自分のところはなかなかうまくいかないです(笑)。自分も「なんでも進んでやる良い子」ではなかったので、だからこそ分るところもありますね。
子育てでも何でも、自分が楽しんでやることが大切で、子どもに多くを求めてはいけないなと思っています。一方でこれからの世の中には暗い見通しのほうが多いので、小手先だけの知識などではなく、大きな視点が必要だなと。
今、東京で子育てして、子どもはヴァイオリンを習っていますが、やはり相馬の子たちとは全く音楽のとらえ方が違うので、いっそ相馬に引っ越そうかなと思ったりもします。
I:相馬、大槌と現在2か所ですが、今後の活動展開は?
K:かなりトントン拍子で進んでいるので、今のところは2か所で手一杯ですが、来年以降は被災地に限らず展開していきたいと思っています。ただ、教育である以上、継続的展開が必須なので、自治体、地元の教育委員会と密着してやることにはこだわりがあります。相馬や大槌は小さいけれど自治体としての成功モデルとして、これからの展開に生かしていけると思っています。また、3月29日のサントリーホールでのコンサートのような、全国展開の発表の場もどんどん増やしていきたいと思っています。
エルシステマの取り組みは皆さんの善意で成り立っているので、是非これからもご支援ください。
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菊川 穣 Yutaka Kikugawa
71年神戸生まれ。95年ロンドン大学ユニバーシティーカレッジ地理学部卒業。96年同大学教育研究所政策研究修士課程修了。08年にロンドン大学熱帯医学衛星大学院より公衆衛生ディプロマを取得。
国連教育科学文化機関(ユネスコ)南アフリカ事務所にて教育担当官。2000年より国連児童基金(ユニセフ)レソト、エリトリア事務所において青少年、子ども保護、及びエイズ分野を中心とした調整・管理業務を担当。07年日本ユニセフ協会へ異動後、J8サミットプロジェクトコーディネーター、団体・組織事業部係長を経て、11年3月より東日本大震災緊急支援本部チーフコーディネーター。
12年3月に一般社団法人エルシステマ・ジャパン設立にあたって代表理事に就任。